12年目の"二次がん"
妻からの電話は明るい声だった。「骨肉腫だって。」
居直りなのか、新たな戦いへの決意なのか。
高校2年生の娘は2ヶ月ほど前から右ひざの辺りが痛いといっていた。よく観ると少し膨らんでいる。痛みが増したので休日の当番医で見てもらいレントゲンを撮った。骨の様子が少し違うという。娘は12年前に神経芽細胞腫で自家骨髄移植を受けている。その折、全身への放射線治療もしており骨も弱くなっているはずである。当番医にもそれが本人にとって通常なのか、異常なのかわからないという。
改めてこども病院で診察を受けた。CT,MRI、骨シンチ。その結果ひざの下、すねの上部の骨の中と外側にデキモノが出来ているという。でもそれは医師も見たことのないタイプで良性か悪性かわからないという。そこで手術をして細胞を調べる生検をした。その結果が先の電話である。

早速、病院に行って説明を受けた。骨の中の腫瘍は転移がしやすく、特に肺への転移が多い。今のところ転移は見られないが、肺の詳しいCTをすぐに撮る。治療は化学療法でまず原発をたたくとともに、全身へ飛んでいると見られる腫瘍をまず抑える。その後、手術になる。手術はかつては足の切断だったが、今は局部の骨を切って人工の骨と関節を入れるという。ただ、局部だけでは再発の可能性が高く、太ももとすねの半分くらいを切るという。そして、手術の後に再び化学療法を行う。治療後、人工関節は7〜8年でゆるみが出ることがあり、その場合にはまた手術をして直すことも必要になるという。
そんな説明であった。すぐに命にかかわる状況ではないと知り、少しホッとする。

静岡県立こども病院は全国でも有数の医療実績を誇る病院である。しかし、骨肉腫についてはそれほど多くの治療は行われていない。骨肉腫は10代後半から20代にかけての発病が多いからである。そこで、整形医の所属する東京大学医学部から専門の医師に来てもらい執刀をしてもらう予定だという。すでに了解も得たという。ありがたいことである。医師はその上で、さらに静岡県立がんセンターでのセカンドオピニオンも提案してくれた。セカンドオピニオンとは診断や治療法についてほかの医師から第2の意見を求めるものである。また、こども病院では病気は本人に直接話をする方針をとっている。整形、血液それぞれの医師からまず本人に話があった。「不安なことはないですか」という医師の問いに「生検手術のあと痛かったが今度も痛いだろうか」と聞いている。親は命への影響を気にしているのでその差に驚く。でもこれが現実であり、実際にこれから病気と闘っていくのは本人なのだと改めて感じる。両病院ともに病気や治療法を十分に説明し患者が納得した上で治療に入るインフォームドコンセントが徹底している。これまで一般的に医師と患者の関係は主従であった病院において、患者本位の考え方は新鮮であり、感謝の気持ちでいっぱいとなった。

数日後、がんセンターを訪ねた。CTやMRI画像を見ながら整形医が病気や治療法について詳しく説明をしてくれた。その内容は子ども病院とほぼ同じであった。が、治療は手術をする医師が化学療法からしっかりと見る必要がある点や、手術は1人の医師が行うものではなくほかの医師や看護師とのコンビネーションが大事であり、なるべくなら執刀医の病院でやったほうがいい。がんセンターでも治療には参加できるし治療と手術の病院の組み合わせは自由に出来るとの説明も受けた。

結局、私たちは手術はがんセンターにお願いすることにした。がんセンターでの医師の説明がわかりやすく、また信頼できるものに感じたからである。現在も3人が同じ病気で入院中だという。加えて、娘の今後のことを考えた。娘はこれまでずっとこども病院で治療を受けてきた。そして、これからも晩期障害と一生付き合っていくことになる。こども病院は20歳を過ぎれば卒業しなくてはいけない。どこか成人対象の病院にお世話にならなければならない。それらを考えたときに県内の信頼できる病院がいいと思ったからである。がんセンターの小児科にこども病院にいた天野先生がいることも心強い。しかし、本人が家の近くでなじみの深いこども病院での入院生活を望んだため、手術前の化学療法はこども病院にお願いすることにした。両方の病院でも連携をして治療に当たってくれるという。

親として出来れば足の骨を残せないかという思いはある。が、いま治療に対しての不安はない。娘は神経芽細胞腫に甲状腺がん、そして骨肉腫と17年の人生で3回目のがんを宣告された。なぜ、という思いはあるが、最初のがんで多くの人は亡くなっている時代を生き残ってきたわけでそれだけに強い治療も受けてきた。抗がん剤、放射線照射、成長ホルモン・・・ おそらくそれらの治療による二次がんであろう。ここ十数年で小児がん医療は飛躍的な進歩を見せている。生きている故の新たな病気である。娘の笑顔を幸せに感じて家族でまた新たな治療に取り組むことにする。

平成16年10月21日